サッカー三昧と、思い出すこと

9日土曜日は、朝から昼すぎまで、そして10日日曜日は、お昼から午後6時まで、サッカーの練習試合だった。

あーーっ、日に焼けたねぇ!ってお母さんとおねえちゃんが同じことを言った。病院にいた時は真っ白だったもんねぇ、だって。日曜日の夕食で、病院の友達の話になった。月に一度検診にいくと、偶に、友達に会う。元気そうだね!とか、GVHDの影響がまだあって薬も続いている、とか、というお話もする。特にお母さんがたくさんしゃべっている。僕はどうやらとても順調みたいだ。

でも、検診のために月に一度学校を遅刻するから、学校の友達が「あいつはまだ完全には治っていないらしい。助けてやらねば」と思ってくれている。道徳の時間に障害を持つ人の話や病気の人の話になったとき、気持ちが足らなくて嫌味な意見になってしまった友達が居た。すると、別の友達が僕の肩を軽く叩いて『気にすんな』だって。僕のことじゃないってわかっているのに、気の使いすぎだよ、おまえ。

昨日の日曜日の夕食では、僕の血液はどこに行ったのかなぁ、という話になった。僕のこの手を流れている血は僕のじゃないんだよね。ぼくは大きい病院に連れていかれたとき、まだ何もわかっていなかったんだ。検査して、マルクしたら、「はい、帰って良いよ」って言われるもんだと思っていたんだ。だからお母さんにも「はやく帰ろうよ」って声を掛けたんだっけ。それから入院して、点滴に繋がれて、移植まで行っちゃうとは夢にも想像できなかった。治療中に点滴が取れたときには、病棟の廊下を走り回って看護師さんに見つかって叱られたな。移植直前にも、なんとなく「体力を保っておかねば」とおもってナースステーションの回りを20周した。友達は途中で「疲れた」といってベッドに戻ったけれど、僕は最後まで廻ったよ。移植室では、テレビ見放題でゲームし放題。「天国みたいだね!」ってお父さん、何を言っているの!?昼間はダルくて何もする気がしないから、睡眠に逃げ出していた。すると、夜に目が覚めて眠れないんだよね。「何、今流れている血とお前はとても仲良しなんだから、もう、お前の血なんだよ。」お父さんが偉そうに言ってくる。お父さんは知らないけど、入院する数日前、僕は鼻血が止まらなくて、洗面所で鼻血を溜めて興味深げに眺めたりしていた。なんだーこれーっ?って感じ。お父さんはそれに気づかずに寝ちゃったよね。お母さんが言うには、母さんはもう血相を変えていて、翌日すぐに小児科に連れて行って、そして検査結果ののち大きな病院に紹介されたんだよ。

そんなことを久々に話し合った、昨日、母の日の夕食だった。病棟の他の友達も今頃どうしているかなぁ。